5月15日(日曜日) くもり 尾鷲市⇒熊野市
道の駅「海山」を出発、尾鷲市を後に熊野市に向かう途中道に迷い県道778号線に入ってしまい、目的地に30分で行ける場所を狭くて戻ることもできない道を1時間30分かけて通過しました。 妻は朝の運転訓練と言って私を励まし、笑っていましたが私には緊張の1時間30分でした。 そして到着したのが神武天皇の到着の地と伝えられている楯ケ岬、国道311号線から往復約2時間の遊歩道が整備されてありました。 軽い気持ちで水も持たず出発したら1山2山越えのきつい道のりでした。
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遊歩道中間に阿古師神社と室古神社がありました。
高さ約80m、周囲約550mの柱状節理の名勝天然記念物の盾ケ崎と二木島灯台の近くの千畳敷の岩
徐福は紀元前3世紀の中国・秦の始皇帝に仕えた方士で熊野に上陸したと伝えられ、徐福を祀る宮と展望台にある喫茶店。
その後、長年にわたる厳しい自然環境が生み出した壮大な造形美の世界遺産「鬼ケ城」へ 無料駐車場に車を停め、鬼ヶ島センター前を通って全長1.2㎞の遊歩道を散策、「猿の涙」・「鬼の風呂桶」・「鬼の見張り台」などの観光スポットを見ながら東口出口に抜けましたが、帰り道が分からず地元のお兄さんに聞いたら教えてくれたので後に付いていきました。 東出口をでると直ぐにトンネルがありますが歩行者は通行できず、川沿いの小道を通て行くと半分が歩道で、半分が一方通行の車が通れる鬼ケ城歩道トンネルがありました。 このトンネルは大正14年(1915年)完成した手掘り感のあるトンネルで入り口には「選奨土木遺産」の額が貼ってありました。
鬼ケ城は征夷大将軍の坂上田村麻呂が鬼ケ城に棲む鬼を見事一矢で仕留めたという伝説の場所
雨水が岩の溝を流れ落ちてくる「猿の涙」
鬼の風呂桶と言われている場所
太平洋の荒波による浸食や長年の風化によってできた奇岩があちこちに点在していました。
半分が歩道で半分が一方通行の車道になっいる延長509mの鬼ケ城歩道トンネル
熊の駅はとてもきれいな駅舎でしたが周りには商店街らしいお店がありませんでした。 駅を通過して国道42号線の交差点にあたる所に世界遺産の高さ25m獅子岩がありました。 古くから隣の神仙洞とともに熊野市山中の大馬神社の狛犬とされているそうです。
獅子岩から少し離れたところに世界遺産の花窟神社(はなのいわやじんじゃ)がありました。 花窟神社はは太古の自然崇拝の姿を今に残す日本最古の神社と言われており、国や神を生んだイザナミノミコトが葬られたとされ、黄泉の国と接する場所でパワースポットとして有名です。 高さ約70mの巨岩がここの御神体で社殿はありません。 2月と10月には古式ゆかしい行事がるそうです。
5月16日(月曜日)雨 熊野市
午前雨が降っていたので今日の観光を中止し、スーパーで買い物・車に給油をして山崎運動公園で休憩。 この辺では軽油の値段が高い所で163円、数十メートル離れたGSでは136円で販売していました。 最近は値段表示のないスタンドが多く給油しながら詐欺に有っている様な気にもなりました😰😰😰。 少し休んでいると天気も回復してきたので今日予定していた丸山千枚田を見に行く事にして急遽国道311号を北上。 丸山千枚田は紀和町の丸山地区にあり、日本棚田百選に選ばれています。 昭和40年頃から始まった稲作転換対策や高齢化・過疎化などにより平成初期には530枚までに減少したそうです。 それで平成5年に地元民が立ち上がり、丸山千枚田保存会を結成、復元と保存活をおこない現在の姿となったそうです。 約1340枚もある棚田の景観は今まで見た棚田の中では一番の大きさと美しさでした。6月最初の土曜日には虫送り行事が行われ、松明かりが灯された千枚田は幻想的だそうです。 通り峠登山口に車を駐車して丸山千枚田へ向けて歩きましたが熊野古道同様、苔の石畳の坂道があり、その途中に子安地蔵が祀られており、そこから展望台に行く別れ道がありました。 雨上がりの苔の付いた石畳を登って来た我々には流石にきつく、登頂を諦めようと思いましたが折角ここまで来たので『登ろう・!』と励ましあい最後の170段の急階段を登りました。 展望台に到着して前方見た時言葉では言い表せないすばらしい絶景がありました。 下山しながら二人で「棚田を見るなら展望台に来なくては損」といいながら降りて来ました。 下山後棚田の細道や自動車道をあるきながら駐車場まで約3時間、とても素晴らしい風景を見てきました。
展望台から見た棚田の風景
下山中にみた手入れされている杉の並木道
農家の方が田植えの準備をしていました。
棚田出口に靴や手を洗う場所があり、疲れた体や足を休めて座って洗えるイスが準備されてあるのも本当に素晴らしい思いやりだと思いました。 棚田見学後、道の駅へ 道の駅『熊野・板屋九郎兵衛の里』は紀和町にある元鉱山の町・勝運伝説が伝わる板屋九郎兵衛さん由来の道の駅でした。 周りには何もなく自然豊かな渓谷と険しい山々に囲まれた場所で貸し切り状態で車中泊させて頂きました。 時間もあったので周りを散策した思わぬものを見つけ歴史の悲しさや重さを感じさせられました。
戦争とは言え悲しい出来事があった過去の追悼碑です。
貸し切り状態のプルミエGO
鉱山の跡地と板屋九郎兵衛の墓
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