キャンピングカー生活279日~282日目

10月3日(月曜日)晴れ 仙台市⇒名取市⇒角田市 道の駅「かくだ」(泊)

予定より数日遅れて出発です。 取り合えずスーパーに寄って食材や日用品の不足分を購入。 買い物に時間がかかり過ぎて大分遅くなり宮城県境を越える事ができず・・・😅😅😅でも冷蔵庫満杯の食料を積み込み大満足・・・😋😋😋。  さ~沖縄へ向け出発🚍💨💨 大分暗く成って来たので今日の宿泊先は道の駅「かくだ」に決定。 原則夜は走行しない事(安全の為)にしているので・・・😅😅😅

道の駅「かくだ」は阿武隈川沿いに位置し、宮城県南を訪れる東の玄関口として平成30年にオープンした真新し道の駅です。 県南随一の規模を誇るスポーツ施設と一体的に利用できるように整備されていて大変驚きました。

10月4日(火曜日)晴れ 角田市⇒相馬市⇒浪江町⇒楢葉町⇒道の駅「よつくら港」(泊)

宮城県人でありながらまだまだ知らない場所が多くあって😓😓😓、角田市もその一つの町なので観光をしながら進むことにしました。 道の駅で資料を頂いて角田市郷土資料館へ向かいました。  資料館は角田の典型的な大地主氏家丈吉の屋敷を整備して、詩人吉野臥城の資料や掛け軸、絵画をはじめ、角田の歴史を伝える考古資料や民俗資料を展示していました。 私達が尋ねた時は石田昭光展を開催しており戦国の乱世を生き抜いた角田開邑の祖である石田昭光の生涯を実物資料やパネルで紹介していました。 また石田家・家臣伝来の甲冑、石川家中が出陣した大阪夏の陣図屏風(原寸大パネル)が展示して有りました。 残念ながらそのパネルは写真禁止との事で撮ることができませんでした。

昭光を看病する孫の宗敬の正室・牟宇姫(伊達政宗次女)の人形が実にリアルでした。

角田市は「宇宙航空研究機構(Jaxa)角田宇宙センター」があることから「宇宙」をテーマとして「宇宙を拓くまちづくり事業」を展開しており、角田スペースタワー・コスモハウスもその一つ。 残念ながらこの日は休館日でした😰😰😰 最近気まぐれで尋ねるので休館日に良く当たりますハハハハハ😅😅。

角田市を後に国道6号線を南下、県道38号線に入ると山元町震災遺構中浜小学校が有りました。 屋上に逃れ、寒い中、励ましあいながら90名の命を守った学校だそうで、本当に胸が痛い思いでした。 中浜小学校は内陸の坂元小学校と統合され、平成25年(2013年)に閉校となりましたが、山元町では宮城県南部に残る唯一の被災建築物である校舎を保存、大津波の痕跡をできるだけ残したい、震災の教訓を風化させないと言う事で震災遺構として公開していました。

震災遺構中浜小学校全景

浜の駅 松川浦  震災を乗り越え、相馬で水揚げされた新鮮な魚介類をはじめ、地元農産物や加工品、お土産なども販売、またフードコート🍽️🍜🍱は観光客や営業マンで大盛況でした。 私達もここで見つけた大きなワタリガニ🦀🦀を購入、夕食に鍋🍲🥢にして・・・お腹の中に・・・大満足でした。

現在も行われている除染作業で出た廃棄物の山(除染残土)  

      

帰還困難区域がまだある地域と誰も住んでない廃虚化した家々

 

今でも11年前の福島第一原発の事故が思い浮かばれ、掲示している放射線量は高くなかったようですが、今回は帰還困難区域を素早く通過していわき市までノンストップ走行🚍💨💨する事にしました。

福島第一原電から約50㎞離れ久之浜・波立海水浴場にある赤い鳥居の島が見えたので休憩を兼ねて停車。 海も荒れていましたが島まで赤い橋が架かっていたので行って見ました。 波の飛沫をよけながら、またゴツゴツした岩の上を歩きなが島に渡りましたが、1億2千年前の地層が向き出しになった岩場には本当に感動しました。

弁天島 1億2千年前の地層の岩上には弁財天をまつる祀がありました。 また「鰐が淵」の人食い鮫の伝説でも知られているそうです。

いわき市の入り口・道の駅「よつくら港」を今夜の宿泊場所に決定。 道の駅「よつくら港」は四倉漁港内に位置し、隣接には広大な駐車場が整備されていました。 またこの施設内では地場産の魚介類・野菜・ドライフルーツ造りのイベントなどを開催しているそうですが残念ながら今回も休館でした😱😱😱。 道の駅で休館も珍しいですよね~~!。 休館でしたが周りを散策して隣接に有る広大な駐車場に移動して宿泊💤💤。

 

10月5日(水曜日)曇り後雨  いわき市⇒北茨木市⇒大津岬公園(泊)

朝、風の音で目が覚め、窓から外を見ると雨が降いました。 今日も雨か・・・!?🥲🥲🥲。 悩んだ末に故美空ひばりさんの塩屋岬を思い出し行って見る事にしました。 故美空ひばりさんが大病後の復帰第一弾として発表した「みだれ髪」がこの舞台である事で、灯台のふもとに歌碑、遺影碑、雲雀乃苑があります。 遺影碑の前に立つとセンサーで「悲しき口笛」のメロディーがながれ懐かしく思いました。

 

いわき震災伝承みらい館 東日本大震災で地震、津波に加え、原発事故が重なる複合震災に見舞われた、いわきの震災の記憶と教訓を将来にわたり発信するとともに、災害に対する危機意識や防災意識の向上を図るために整備された施設。 この日も中学生の体験学習が行われており、沢山の生徒さんが震災について学んでいました。

塩屋灯台の登り口には、灯台守の生活を描いた映画「喜びも悲しみも幾歳月」の記念碑も建っていました。 製作が1957年なので若い人は分からないかもね😅😅😅。

いわきマリンタワーと三崎公園  小名浜港東端の岬、海上46mの高台に広がる、総面積700,000㎡のシーサイドパーク。 59.9mのマリンタワーからは太平洋といわきの街を360度の大パノラマで見る事ができます。

三崎潮見台  丘からせり出した場所に設けられた潮見台では、太平洋の大迫力でスリル満点の景色を見る事ができました。

イオンモールいわき小名浜から見たアクアマリンふくしまの風景

雨も強くなって来たので近くの車中泊できる公園を探しながら南下。 数カ所探して駐車してみましたがWi-Fiの電波が繋がらず、最終的には五浦岬公園に移動。 10台程度駐車できる駐車場でしたがトイレも有り、携帯の電波も強かったのでここで宿泊する事にしました。 もちろん何時もの通り車泊する車は私達だけでした😅😅😅。

10月6日(木曜日) 雨 北茨城市⇒日立市⇒水戸市⇒潮来市 道の駅「いたこ」(泊)

朝目が覚めて周りを見てビックリ。 昨夜は寂しい所に来たな~と心配しましたが、この場所はとても有名な場所でした。 また、駐車場の上には大津岬灯台があり、昨夜プルミエGOの上で灯かりがぐるぐる回っているので何だろう❓と思っていました。 五浦岬公園には岡倉天心やその仲間達が絵の習得に使用した日本美術院研究所が有りました。

 

本美術院研究所  明治39年(1906年)11月、岡倉天心は、東京谷中にあった日本美術院第一部を大津町五浦に移転し、椿浦の絶壁のうえに研究所を建設した。 研究所には、天心の居室、天心とともに五浦に移住した横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の作画室、研究会員の作画室が設けられていた。 彼らは、近隣に住んでここに通い天心の指導を受け、画業に精神し多くの代表作を生み出しました。 朝早く訪れたので外からしか見る事ができませんでしたが人形で絵を描得ている様子を表していました。

五浦岬公園 展望慰霊塔

岩場の海岸にある六角堂  近代日本美術の発展に大きく貢献した思想家の岡倉天心によって設計された建物。

茨城県に入っての最初の観光地 鵜の岬公園 強風と雨の為散策できず、📷写真だけ撮って移動。 妻と「天候が良ければ最高の散策地だね」と言いながら南下。

道の駅「日立おさかなセンター」 数年前、この場所で車中泊をした事があって懐かしく思いました。 当時は結構混んでいた記憶がありましたが、雨の為か!お客様もまばらで店員さんも暇そうにしていました。

道の駅「たまつくり」 行方市は、霞ケ浦北浦に囲まれた水辺の街で、すぐ目前には霞ヶ浦が広がり、周辺には霞ヶ浦ふれあいランドと広々とした芝生広場を有する高須崎公園があり、霞ケ浦と紫峰筑波山の風景を楽しむことができます。

この道の駅は、車泊するに不便と思い次の道の駅「いたこ」に移動、 道の駅「いたこ」は合計駐車台数約300台、新鮮市場が併設されていて沢山の車中泊の車両が駐車していました。 外は雨なので早めに夕食を食べ就寝。💤💤😴😴😴

 

 

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