キャンピングカー生活200日~202日目

6月4日(土曜日) 晴れ  豊田市⇒長野県下条村 道の駅「信濃路下條」

道の駅「どんぐりの里いなぶ」は中馬街道・塩の道にある道の駅。 ここは武節宿と言って周辺には山里体験施設「どんぐり工房」のほか、しだれ桜の古木・清流とホタル、秋の紅葉が楽しめる大井平公園つり橋、冬の樹氷や氷爆などの観光施設が沢山ありました。 週末と言う事でハイカーや自転車で散策する観光客で沢山来ていました。 私達も武節宿を散策するため出発🚶‍♀️🚶‍♂️。 中馬街道は江戸時代から明治時代にかけて、三河湾で穫れた「塩」を信州や美濃地方まで馬で運んだ街道。 昔の面影を残した街道を歩いていたら最初に目に付いたのが「からすみ」の文字、こんな山の中でからすみ? 不思議に思い店の中へ入って行くとなんとお餅でした。 愛嬌があり元気なおばさんに声かけられそのからすみを試食😋😋😋 妻が朝一のお客様なのでと言って縁起を担いでからすみを購入。 82歳のおじいさんと78・・?歳のおばさんと二人で手作りで忙しそうに働いていました。 元気なおばあさん曰く「70年以上この町から出たことが無いよ」と笑いながら言っていました。

少し街道を歩いていると家の周りに自作の政府批判や戦争反対のチラシが貼ったお宅があり写真をパチリ📸・・・・! どんな方がお住まいなのか覗いてみましたが不在でした。(あまり写真を掲載すると政治批判と思われるので😅😅😅)

悲劇の姫井戸伝説が残されている井戸見学。 現在は井戸は埋められ覗けないようになっていました。 その後中腹の熊野神社参拝、日本地図を作るため全国測量を成し遂げた伊能忠敬が宿泊した材木問屋の大和屋さん、石に願いを唱え石が軽く感じれば願いが叶う重軽さんお不動様、石を持ってみましたが私には軽く感じませんでした😂🤣😂。

  

街道筋の家の軒下は燕の巣が数珠繋がりになっていました。 昔から日本では害虫を食べ農作物を守ってくれる益鳥とされ、また人通りの多い家の軒先に巣をつくるので、お客様の出入りが多い家=繫栄している家=商売繁盛の象徴として大切にされてきました。 燕は小さな体のわりには大食漢で1日に数百匹の虫を食べるそうです。 すごいですね~😱😱

名倉川右岸の小高い丘の上に鎮座する八幡神社は、子安八幡ともよばれ、安産の神様として親しまれています。 神前前に神木は、樹齢700年の杉・ヒノキの合体木で珍しく見ごたえがありました。 八幡神社から少し降りると推定樹齢370年のしだれ桜がある瑞龍寺がありました。

町を歩いていたら「ちょっとよって館」の看板が目に付いたので寄ってみると子供達やお年寄りの集まり場所でした。 また「なんでも鑑定団」に出品した品物が無料公開されていて大変貴重な物を見させていただきました。

今夜の宿は道の駅「信州路下條」 下條村の美味しいものを集めたそばの城でした。 天然温泉やそば打ち体験・300年近くの歴史を持下條歌舞伎の舞台など一日遊べる場所でした。 また、近くに天竜ライン下り(約10㎞の船旅)の下船場所唐笠港がありました。

   

6月5日(日曜日) 曇り後雨 中津川市⇒木曽町⇒塩尻市 道の駅「小坂田公園」泊

今日は江戸時代から日本の情緒を残している旧中山道の宿場町、馬籠峠を通て馬籠宿・妻籠宿の散策に行きました。 馬籠峠は妻籠宿と馬籠宿の間、標高790mの位置にあり、峠には「白雲や青葉若葉の三十里」という正岡子規の句碑が建っていました。 残念ながら朝早いという事で昔風の茶屋も空いていませんでした。

馬籠宿は江戸日本橋から43番目の宿場で、木曽11宿の最南端に当たります。 全長600mの石畳の両側に古い街並みが続き、江戸時代の雰囲気を漂わせています。 見晴らしの良い場所から恵那山(標高2192m)も良く見え、この日も沢山の観光客が訪れていました。  また馬籠は島崎藤村の故郷であり、小説「夜明け前」の舞台で有名で、「島崎藤村記念館」があります。

宮本武蔵が修行したと言われる滝。「男滝」は木曽川の支流・男だる川にかかる分岐瀑で落差は10mあります。 「女滝」は落差12mで、途中で段差を持つ二段の瀑でした。

妻籠宿  今も実際にここで生活していることが信じがたいほど、景観保存を徹底している宿場町です。 国の無形重要文化財で南木曽博物館となっている脇本陣奥谷は、島崎藤村の初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先であり、堂々たる旧家の造りを見る事ができます。 囲炉裏端で案内人が当時の様子や宿場町について説明してくれます。 宿場町の駐車所は全て村営の有料で500円でした。

中山道の景勝地として、また木曽路のランドマークとして親しまれてきた奇勝。 目覚めの床は国の天然記念物となっており白い岩と緑の水とのコントラストがとても綺麗でした。

奈良井宿は中山道34番目の宿場・江戸へ64里22町、宿の延長は8町5間と贄川宿のほぼ2倍の長さで規模の大きな宿場です。 明治時代の道路改修工事の際に国道から外れたため、宿場時代の町並みが現在までほぼ完全な状態で残っています。 昭和53年に伝統的建造物保存地区に指定され、江戸時代の旅籠が旅館として使用されていました。 この日は町のイベントがあり道の駅から中心地までマイクロバスで送迎していました。 我々もマイクロバスで中心地まで行き町を見ながら帰りました。

 

6月6日(月曜日) 雨 道の駅「小坂田公園」泊

朝から雨のため今日の観光は中止。 キャンピングカー内でゆっくり休む事にしました。

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