キャンピングカー生活191日~192日目

5月26日(木曜日) 晴れ 九度山町 ⇒ 明日香村 道の駅「吉野路大淀iセンター」

高野山の玄関口にある九度山町から古代文化の香り豊かな郷明日香村へ国道24号線で移動。 なんと無料の高速道路(自動車専用)👍👍👍・・・ 約1時間で飛鳥歴史公園の駐車場に到着。 9時過ぎに到着したのでまだ観光客は少ないようでしたが修学旅行の小中学生が勉強に来ていました。 飛鳥歴史公園館の前でウロウロしていたら男の人に「高松塚壁画の修復作業見学の方ですか?」と声かけられたので「いいえ、修復作業観れるんですか?」と聞くと予約制ですが空いていれば良いですよと言って係りの方に聞いていただき2名でしたらOK幸運にも見る事ができました。 壁画は温度・湿度管理・地震対策など厳重に管理されガラス越しか見ることができませんでしたが本当に感動しました。 残念ながら写真はNGでした😅😅😅。 高松塚古墳壁画(国宝)は昭和47年(1972)3月に発見され、日本中に驚きと感動を与えてから今年で50年になるそうです。 午後は1998年3月、小型カメラによる調査で青龍・白虎と天文図が発見されたキトラ古墳壁画(国宝)を見学。 こちらも偶然一般公開をしていたので急いで予約して実物を見学させて頂きました。 本当にラッキーでした🎉🎉。

修復作業終了した極彩色壁画を貯蔵している建物と外には修復された時の壁画の写真があり学術員が色々説明してくれました。

飛鳥歴史公園館には高松塚壁画の同サイズのレプリカと出土品が展示されていました。

高松塚古墳・・・墳丘は、下段が直径23メートル、上段が直径18メートルの二段築成の円墳。石室内部には大陸風で極彩色の壁画あり星縮図日月像及び四神図人物群像(女子群像・男子群像)などが描かれており、当時全国で考古学ブームが起こりました。

天武・持統天皇陵・・我々が参拝に行った時、ちょうど宮内庁の方が来てお参りをしていました。

鬼のせっちん・まないた・・・古墳の石室の蓋石(せっちん)と床石(まないた)だが、その形状から鬼が近くを通る旅人をまな板の上で料理し、せっちん(トイレ)で用を足したと伝えられている。

キトラ古墳は、藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域にある小円墳で、7世紀末~8世紀初頭に造られたと考えられています。 古墳は東西にのびる丘陵の南斜面に位置し、2段の墳丘、下段の直径13.8m、上段の直径が9.4mで出来ています。 墳丘の中央には18個の直方体の切石をくみ上げた石室があります。 石室内は全面に漆喰が塗られ、四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれています。

キトラ古墳壁画体験館 四神の館・・・1階展示室には壁画がおかれ温度・湿度管理を厳重に管理されていました。 こちらも写真はNGでしたのでレプリカの写真を撮って来ました。

四神の館の裏側にあるキトラ古墳

周囲公園を散策後、道の駅「飛鳥」に行きましたが車中泊が難しい所だったので次の道の駅「吉野路大淀iセンター」にて車中泊しました。

5月27日(金曜日) 晴れ 明日香村 ⇒ 天理市 道の駅「なら歴史芸術文化村」

今日も明日香村観光マップをみながら昨日見れななかった歴史公園内を散策。 今日も学生さんや観光客が沢山来ていました。 学生や観光客は自転車をレンタルして各場所を見学していましたが我々は車と徒歩でくまなく歩きまわりました。

明日香村埋蔵文化財展示室・・・明日香村が発掘した埋蔵文化財の展示室。 旧飛鳥小学校の学舎を利用しており、これまで発掘の数々の展示、キトラ古墳石室の模型など紹介しています。

 

飛鳥水落遺跡は中大兄皇子が造った日本初の漏刻(水時計)の跡。飛鳥川の水を使い、水槽に溜まった水の深さで時を図り、鐘を鳴らして時を知らせたそうです。

飛鳥坐神社と飛鳥寺  飛鳥寺は6世紀末~7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院。 本尊の銅造釈迦如来坐像は「飛鳥大仏」の通称で親しまれています。

 

蘇我入鹿首塚 大化の改新で中大兄皇子らに暗殺された蘇我入鹿の首が飛んできた、襲ってきた首を供養するため建立されたなどの説があるそうです。

橘寺・二面石 聖徳太子建立七大寺の一つとされ、聖徳太子の祖父の欽明天皇の別宮・橘の宮を寺に改めたのが始まりと伝えられています。 聖徳太子はこの辺りで誕生し、幼少期を過ごしたとの事でした。

石舞台古墳は蘇我馬子の墓とされる日本最大級の方墳。使用されている30数個の岩の総重量は約2,300トンにもなり、造られた当時の土木技術の高さがうかがわれます。

飛鳥資料館は奈良文化財研究所の展示施設。 発掘成果を中心に、最新の飛鳥・藤原地域の研究成果や、飛鳥の歴史と文化について、美術資料やレプリカなどを使って詳しく解説していました。

明日香村を後にして天理市に向かう途中に大きな鳥居がありました。 大神神社(三輪明神)の鳥居でした。 背後の三輪山を御神体とする我が国最古の神社です。 御諸山または神体山ともいわれ、古くから聖なる山、神の山として崇められていて、三輪山神話として記紀にも登場する事が多く、三輪そうめんでも有名な場所でした。

 

 

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