キャンピングカー生活188日~189日目

5月23日(月曜日)晴れ 白崎海洋公園⇒由良町⇒湯浅町⇒有田市⇒和歌山市

昨日会った女の子も出発した様でもういませんでした。 我々も準備して和歌山市に向け出発🚍🚍🚍Go・・!。 途中見所があれば観光しながらの自由旅、俗にいう「行き当たりばったり」です…😅😅😅。 出発して間もなく「醤油」・「金山寺味噌」のわが国発祥の地である興国寺に到着。 こんな田舎に大きなお寺が有ることにビックリ、石畳の参道を登っていくと本堂がありとても奇麗に清掃されていて、住職さんの性格が清潔な方だと感心させられる寺さんでした。 興国寺の歴史は古く葛山五郎影倫が鎌倉幕府三代目将軍である源野実朝の菩提を弔うために真言宗「西方寺」として建立されたそうです。 また醤油、味噌以外にも尺八の日本発祥の地とされ、毎年1月の成人の日には「天狗祭」が行われるそうです。 そう言えば境内の奥に天狗の面が鎮座している天狗堂もありました。

湯浅のまちで産声を上げた醤油醸造の歴史と伝統に関するストーリー「最初の一滴」の発祥地、日本遺産の湯浅町を尋ねてみました。 最初に広荘の産土神社として有名な廣産土神社を参拝、次に稲村の道あかり広場(地場産の野菜や土産物など販売)や資料館がある場所に行きましたが月曜で休館でした。 その後、重要伝統的建物群保存地区を散策しながら醤油醸造で栄えた町並みや歴史・伝統を見学して来ました。

醤油ブランドで有名な湯浅醤油の工場見学にも立ち寄り、工場内にあるパネルや資料から若い経営者の情熱を感じました

世代から世代への災害の記憶を伝える防災遺産「百歳の安堵」~津波と復興の記憶が生きる広川の日本遺産・・・駐車場内に津波救命艇が展示されてありました。

保存地区休憩所、岡正、北町ふれあいギャラリー、甚風呂、湯浅美味いもん蔵、醤油資料館、角長職人蔵、大仙堀などがありました。

昔懐かしい公衆浴場(甚風呂)・・平成8年頃まで使われていたそうです。

   

和歌山市に入って和歌山マリーナーシティで休憩、その後平安の昔から万葉集の歌枕として詠まれた景勝地・和歌の浦へ  和歌の神さまを祀る神社として崇められ、親しまれてきた玉津島神社駐車場に神主さんから許可を得て駐車(和歌山市の観光地では無料の駐車場が殆どありません)。 徳川家康を祀る紀州東照宮や学問の神様・菅原の道真を祀る和歌浦天満宮を参拝して今日の宿 道の駅「四季の里公園」に宿泊しました。 この道の駅は公園と言う事で敷地・駐車所もとても広くてプルミエGO1台の貸し切り状態でした😅😅😅。 4月にオープンしたパン屋さんなどもありトイレなどもとても奇麗で便利でした。

5月24日(火曜日) 晴れ 和歌山市 ⇒ かつらぎ町 道の駅「柿の里くどやま」泊

和歌山市内観光の予定で出発しましたが和歌山城付近の駐車場が一杯で駐車できず予定変更して市内でショッピングをして高野山近くの道の駅に行く事にしました。 和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりで、その築城を担当したのが築城の名人藤堂高虎(ふじどうたかとら)でした。 その後元和5年(1619)に徳川家康の10男・頼宜(よりのぶ)が入城し、55万石の城となり水戸・尾張と並び、徳川御三家の一つとして長い歴史を刻んできました。 第8代将軍徳川吉宗・第14代将軍徳川家茂を輩出した居城としても有名です。

 

 

岡公園にある蒸気機関車C57 119号機と徳川吉宗公之像

車泊する道の駅「柿の里くどやま」は偶然にも戦国時代の名勝「真田昌幸・幸村」父子ゆかりの地でした。 以前長野県上田市に行った時に六文銭の真田城や真田資料館などを見てきたので「どうしてここに六文銭が?」と思いました。 その理由は関ヶ原の戦いで敗れた真田幸村と父昌幸が高野山に蟄居されましたが、その後九度山に移り住み、戦いに備えて兵術や文学を学んだ所との事でした。 大阪冬の陣には九度山から出兵し、圧倒的に不利とされた戦で相手方13,000人の対し3,000人で挑み、徳川家康が切腹を覚悟するまで追い込んで、最後には討ち死にしました。 その後「日本一の兵」と言われるようになりました。

 

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