キャンピングカー生活159日~160日目

4月22日(金曜日) 倉敷市・酒津公園

尾道市と言えば”寺の町・坂の町・映画の町”、約50年前に訪れた懐かしの場所を再度尋ねてみました。 千光寺公園ドライブウエイを通り展望台へ行く途中に車3台ほど駐車できる無料の駐車場所を偶然発見してそこから公園まで歩きました。😍😍😍 千光寺駐車場は公園の頂上にあり1回600円との事でした。 千光寺公園は標高144.2mの千光寺山の山頂から中腹にかけて広がる公園。 市立美術館や文学のこみちなどがあるほか、山頂の展望台から尾道の街が一望できました。 ロープウェイで頂上まで行って帰りをゆっくり散策しながら町まで降りてくるのが一番良かったかもしれませんが、この日も修学旅行の生徒さんが沢山来ておりロープウェイは大変混雑していました。

    

千光寺公園の展望台・ロープウェイと尾道市街

    

文学のこみち入口と有名な作家(志賀直哉・林芙美子・正岡子規)が読んだ句などや碑

千光寺は弘法大師の開基で、珍しい舞台造りの本堂・別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も放浪記のなかで「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。

         

千光寺本堂の階段を降りると約200mほどの細い道が有ります。 尾道出身の画家・園山春二さんが海で拾った丸い石に猫を描いた「福石ねこ」を路地に置いたのがきっかけで「ねこの細道」と呼ばれるようになったそうです。 現在は「招き猫美術館」やグッツを売る店、独特なカファなどがあり猫好きにはたまらない場所かもしれません😍😍😍。

                     

天寧寺三重塔とネコの細道に住んでいる猫

            

西国寺三重塔

尾道観光を終えてから日本遺産のまち倉敷市へ 無料駐車場探し三井アウトレットパーク倉敷に駐車、入庫するところが高さ制限が有って入れずぐるぐる回っていると警備の方が親切にも無線で連絡を取って頂き入庫・専用駐車場に駐車できました。😊😊😊👍👍  JR倉敷駅・えびす通り商店街抜けるとその先に江戸幕府直轄地である天領として栄えた歴史ある町並み「倉敷美観地区」が有ります。 現在も当時のままに保存されており、歴史のタイムトンネルに入った感覚でした。 この町は本町・東町通りと倉敷川周辺に分かれており古く物流拠点として賑わった明治・大正・昭和初期の洋風建築の溶け込んだ町並みがとても素晴らしかったです。

   

    

倉敷駅前とえびす通り商店街

                         

 

                 

運河を結婚したばかりの新婚さんが小舟で通過していきました。 思わず妻が「おめでとう!」👩🏻‍❤️‍👨🏻👩🏻‍❤️‍👨🏻👩🏻‍❤️‍👨🏻と・・・・!

                   

大原美術館・・・昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、日本で最初の西洋美術中心の私立美術館。 古代ギリシャ・ローマ神殿風の本館の中には数々の名画が展示され、門を入るとロダンの彫刻の像が迎えてくれます。

4月23日(土曜日) 道の駅「あいおい白龍城」

岡山といえば桃太郎。 桃太郎のモデルとなった大吉備津彦命を祀る神社へ行きました。 神社に入ると直ぐ車の交通安全祈願をしていました。 この神社には吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら)にまつわる伝説が残っています。 鬼退治の矢を置いたと伝わる矢置岩、鬼の首を埋めたといわれる御竃殿(おがまでん)など、釜が鳴る音によって吉区を占う「鳴釜神事」は多くの人に親しまれているそうです。 また1425年に再建され本殿と拝殿は全国唯一の吉備津造りという建築様式を採用し、国宝に指定されています。 また、本殿から続く360mの美しい回廊はとても素晴らしい価値のある建造物でした。

           

吉備津彦神社・・・深い緑の樹木が一体となった景観は荘厳華麗な雰囲気で本殿は県指定の重要文化財に指定されています。 古代より神の山として崇拝された”吉備の中山”は神が下りる場所とされパワースポットとして知られています。 駐車場には五月の節句が近いせいか鯉のぼりりが沢山泳いでその下で子供たちが遊んでいました。

             

お参りの最中、幸運なことに神前結婚式を見る事ができました。

次に日本三名園(他は偕楽園、兼六園)の一つ、岡山後楽園に行きました。  岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて1687年に着工、1700年に一応完成。 その後藩主によって手を加えられましたが、江戸時代の姿を変える事無く現在に伝えられとても素晴らしい庭園でした。

                 

岡山後楽園の横には岡山城が有りましたが現在大改修の為見る事ができませんでした。 岡山城は、戦国時代の大名・宇喜多秀家によって8年の歳月を費やして1597年に完成されました。 城が西向きであったため、秀家は背後から敵に侵入されるのを防ぐために、近くを流れる旭川を城の東背後を流れるように大工事を行いました。 天守閣に黒漆塗りの板を取り付けるこの時代の建築特徴から、外観は黒く、後の時代には「烏白」と呼ばれるようになったそうです。

 

          

 

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