キャンピングカー生活153日~154日目

4月16日(土曜日) 晴れ 雲仙⇒長崎市内⇒道の駅『やまうち』

昨夜は台風の影響で風が強く余り寝れず早朝雲仙を後にして長崎市内へ向かいました。

 車窓からの標高1483mの平成新山普賢岳

徒歩で一日観光する予定で長崎市内到着後駐車場を探し県営常設駐車場に入庫しました。 しかし車高の高いキャンピングカーは大型車と判断され海岸の県営の駐車場に入庫して無駄に600円損しました。 普通車30分100円と表記して有ったので入庫したら車高2.5m以上は大型車と判断され30分600円との事で入庫して気が付き(1~2分で)直ぐ出しましたが精算機がカウントしてしまい残念な思いをしました この事を判らずに駐車していたら何千円取られるのかと思うと・・・! これで長崎の第一印象が悪くなりましたね。 あちこち探してもキャンピングカーの入れる駐車場が無く約1時間程市内を迷走・・・  それで妻のアイデアでグラバー園近くのびっくりドンキーで食事をして駐車をお願いする事にしました。 店長に実情を話して数時間駐車する事を快く承諾してくれ、迷惑の掛からないよう奥の隅に駐車させて頂きました。 本当に有難うございました。

   

びっくりドンキーを出て階段を登っていくと洋館が立ち並ぶヨーロッパ風の街並みにたどり着きました。 そこがグラバー園入り口大浦天主堂でした。 1859年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っている歴史的建造物を移設し、野外博物館の状態にした場所。 その隣に1863年の12月に完成した日本最古の大浦天主堂(外国人居留者の為の教会)があり、この教会は国指定重要文化財となっています。

    

       

    

大浦天主堂を後にしてオランダ坂へ 異国情緒あふれる街並みのオランダ坂を登っていくと東山手甲十三番館・東山手十二番間やミッションスクールの活水女子大学のキャンパスがありました。 入館は無料で当時の生活様式を体感できる所でした。

                 

オランダ坂を下って行くと中国の遺物を展示した孔子廟歴代博物館が有りました。

   

その後、日本三大中華街。 唐船専用の倉庫を建てるため埋め立てられた新地で飲食店が有る歴史的ショッピング街長崎新地中華街へ 東西南北すべての入り口に中華門が立ち縦横あわせて約250mの十字路に中華料理店等が軒を連ねていました。

   

    

商店街を通り抜け長崎市街の名所の一つで川に映る影が眼鏡に見えることからめがね橋の名が付いたと言われ「日本橋」「錦帯橋」と並ぶ日本三名橋の一つ。

      

まがね橋を渡り海岸通りへ戻ると1634年江戸幕府の対外政策の一環として長崎に築造された人工島である国指定史跡「出島和蘭商館跡」が有ります。 1641年にオランダ商館がおかれ、その後約200年間、日本で唯一西洋に開かれた貿易の窓口でした。 明治期にその役割が終えると、周囲の埋め立てが進み独特の扇形の姿を消しましたが1951年に長崎市が出島の復元整備事業に着手現在に至っているそうです。 入場して館内の出土資料を見ていたら江戸時代風の服装をしている方が居たので当時の服装ですか?と尋ねたら『ただ雰囲気を出すために着ているだけ』と言って笑っていました。

   

   

       

   

    

海岸通りから車で約10分程郊外に走行すると長崎平和公園が有ります。 平和公園は原爆投下中心地公園北側の小高い丘にあり、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界の平和の願いを込めて造られた公園です。 平和への願いを象徴する高さ9.7mの平和祈念像・被爆者たちが「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいった霊に水を捧げて、冥福を祈る平和の泉などが有りました。

        

長崎市内を後にしてハウステンボスに向かう途中に西海橋があり干潮満潮の時にできる渦潮が圧巻でした。

   

時間も遅かったのでハウステンボスには入れず、広大な敷地に驚かされました。  ハウステンボスは佐世保市にあるテーマパークでオランダの町並みを再現した東京ディズニーリゾートの1.5倍の敷地面積で単独テーマパークとして日本最大との事でした。

       

4月17日(日曜日) 晴れ 佐賀市 ⇒ 吉野ケ里遺跡

今回も駐車場探しから始まりましたが無料で警部員さん配慮で佐嘉神社の境内に駐車させて頂きました。 佐嘉神社は佐賀藩第十代藩主鍋島直正公・第十一代藩主鍋島直大公を御祭神におまつりした神社です。

           

境内には松原恵比須社があり、佐賀の町の凡そ1000体の恵比須神の一つとして建立され台座には恵比須神に鑑み金鉱石が用いられ、宝くじ当選の守り神「当たり恵比須」として人気を集めているそうです。 その後神社の周辺を散策していたら古い歴史的な建物があり無料で入館見学がくできました。

        

 

   

その後佐賀城に行ったら広い駐車場が無料でさらに入園も無料で募金箱がおいてあり寄付の形でした。 気持ちよく寄付して入りました。入場したら佐賀の八賢人の内三名 鍋島直正(鍋島藩第十代藩主)・佐野常民(藩校弘道館きっての秀才で後に日本赤十字社を作る)・島義勇(北海道開拓の父)の寸劇が行われており、面白おかしく皆が分かり易く鍋島藩の事を解説してくれました。 この寸劇に感動してこの寸劇にも寄付をしてきました。 ここの施設は寄付の形で運営されておりとても素晴らしいシステムだと思いました。

       

 

   

   

鍋島直正公が座って居るように見える実物大の写真と肖像画

   

1846年、佐賀藩では天然痘が大流行、予防には牛痘が効果的だと知り10代藩主の鍋島忠正がオランダから取り寄せ息子の淳一郎(直大)に接種、その成功により種痘は藩内に広がり、やがて全国に普及したそうです。 上の絵が種痘を息子に打つ様子の絵と日本初の実用反射炉 それによって日本でも鉄製の大砲の鋳造が可能となったそうです。

 

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