キャンピングカー生活151日目~152日目

4月14日(木曜日)晴れ 熊本市内 道の駅『すいかの里』

今日は熊本市に住んでいる友人に会いに市内へ 途中約80年かけて造営された桃山式回遊庭園『水前寺成趣園』を見学しようと庭園周囲の駐車場を探しましたが長さ520㎝、高さ298㎝では入れる場所が無く今回は残念ながら諦め😭😭😭て友人宅へ  時間も早かったのでショッピングセンターの駐車場に止めてメールをしようとしたら偶然にも散歩中の友人と会い、迷うことなく友人宅を訪問する事ができました。😅😅😅 因みにこの水前寺成趣園は初代熊本藩主細川忠利が作庭したもので国の名勝及び史跡に指定されているそうです。 友人宅を後にして現在修復中の熊本城へ。  この日は沢山の修学旅行が来ており観光バスが駐車していました。 私が駐車場に入ろうとしたら警備員さんがプルミエGOは大型バスと同じなのでバスの所に駐車して大型料金を払ってくださいと言われました。 いままで沖縄の首里城や岡崎市の岡崎城などでも機械が車高が高いから大型車と判断しても係りの方が普通車料金に改正してくれました。 それなのにここの係員は決まりなのでと言って私達の意見も聞きませんでした。 残念でしたが今回はその指示に従い、寄付と思い諦めました。  案の定、見学が終わって帰って来たら観光バス数十台の中に長さが3分の1以下のプルミエGOが1台だけ駐車していました。 熊本城は約400年前に加藤清正によって築城され別名「銀杏城」と呼ばれ、「武者返し」と呼ばれる反りのある高石垣や巧みな縄張りといった独自の築城技術が特徴で、日本の三大名城の一つと言われています。 しかし平成28年熊本地震で石垣の崩落や建造物の倒壊など甚大な被害を受けましたが、現在特別公開(2019年にスタート)をしながら復旧作業を行なっていました。 天守閣と重要文化財の長塀だけが復旧しており、復旧がすべて完了するのは2037年度の予定との事でまだ15年以上もかかるそうです。

   

地震によって、復元した数寄屋丸2階御広間の石垣が一部崩壊している様子

   

地震前の熊本城の雄姿

   

熊本城おもてなし武将隊が天守閣前で演武をしていました。 真ん中が城主の加藤清正、右が豊臣秀吉に天下を取らせた黒田官兵衛、左が戦国の乱世、流転の人生を送った南城元清

   

戦前の有り日の熊本城(大きくしてみると窓や壁、瓦がボロボロなのが良く分かります。😱😱😱)

    

天守閣から見た修復中の場内

   

完全に崩壊した石垣と崩壊から免れた宇土櫓(国指定重要文化財)

   

加藤神社は熊本の基礎を作った建築・土木の神(セイショッコさん)を熊本城本丸に祀ってある神社。

   

加藤清正神社から見た熊本城天守閣 石垣は一部崩壊して修復中

   

   

現在はクレーンなど機会を使って修復できるが昔はどの様にして建築したんだろ~?!と考えて下城しました。

   

熊本城稲荷神社と加藤清正像

4月15日(金曜日) 晴れ 熊本市⇒雲仙国立公園

偶然にも近くに西南戦争で17日間にわたって戦闘が繰り広げられた激戦地「田原坂」が有ったので立ち寄りました。 明治10年西郷隆盛率いる鹿児島士族が起こしたわが国最大の内乱、明治維新の総仕上げともいうべき役割を果たした戦争で、熊本はほぼ全域が戦場となり、昨日訪れた熊本城は炎上したそうです。 現在は公園となっており、資料館や激戦の生々しい弾痕の残る家(復元),慰霊塔などが有り、現在はツツジや桜の名称地となっております。

   

弾痕の痕が有る家と薩摩軍6784人、政府軍6843人の名簿が記入されている碑

    

熊本城に官軍約4000人が籠城し、薩摩軍約14000人が包囲したため官軍がこれを助けるため、大砲を輸送する広さのある田原坂を通るしかありませんでした。 薩摩軍もこの要所を通すわけに行かず、激しい攻防戦が続いた田原坂。 現在の田原坂を車で走ってみましたが当時と殆ど変わっていませんでした。 雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂(民謡の一部)

   

田原坂を後に長州港へ 長州港から有明フェリーで多比良港へ向かい雲仙温泉へ向かいました。 海上は風が強く波もうねりがありましたが乗船時間45分、料金は車両と人員2名で3280円で陸路を行くよりはとてもリーズナブルな価格でした。

   

フェリーから下船下船後、道の駅で会ったキャンパーが教えてくれた道のなだらかな389号線を走行し雲仙温泉に向かいました。 山道は殆ど霧の中・・・😅😅😅 平成2年(1990年)から始まった噴火活動によって日本一新しい山「平成新山」(標高1483m)を見ることなく雲仙温泉に到着。 前が見えず運転が怖かった~~😱😱😱

雲仙は昭和9年に日本で初めて国立公園に指定され、昔から自然の大図鑑、野鳥や高原植物の宝庫と呼ばれ大切にされてきたところです。 雲仙温泉は温泉保養地とされ、硫黄の匂いと水蒸気に包まれた大小30噴出口があり、また雲仙地獄はキリシタン殉教の舞台になった悲しい歴史と悲話が今に残る所として知られております。

    

    

   

   

下山して直ぐに小浜温泉があり温泉熱を利用したキッチンハウスや土産物屋が有りました。

      

その後、キリシタン遺産記念館や世界遺産の原城跡地を見学と散策して今夜の宿 道の駅『みずなし本陣ふかえ』到着。 残念ながら物販店舗とレストランは閉鎖されていましたがトイレと案内所が有りました。 この場所は雲仙普賢岳噴火で特に大きな被害があった場所で、被災家屋や現状する「土石流被災家屋保存公園」が隣接して有りました。

   

    

    

            

    

 

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